山本広巳

DSE_5413W

達人を前にして剣が抜けない。

やわらかくも独特の空気に支配されている。

バガボンドでもそんなシーンがあった気がする。急須職人、山本広巳さんの前でなかなかカメラを抜けない。

脇に置かれた一眼はあまりに大きく、不恰好だからか。

それとも、借りてきたカメラのように、僕には不自然だからか。

美しい人とモノとの空間に、邪魔のように思える。

あぁ、そうか。僕は一眼を嫌いになりつつある。

のめり込むほど、カメラが写す景色は現実離れしていく。

カメラに非はない。ただ人間がより美しく、演出していってしまう。

写真は美しい。

ただ、撮る者は、現実演出した理想の差を常に感じている。

現実を切り取っている。違う、これは現実ではない。自分自身の見たい景色を写している。幻想にすぎない。

写真は自身の深層心理を写している。


カメラを買い換えた理由の一つは、広巳さんを撮るためでもあった。

どのような人物かは、業界のもっとも深い人たち、亡くなった偉人たちが知る。

しかし、不思議なことにこの時代に広巳さんの写真一つもでてこない。

だから私はカメラを持ってる。いつか写真に収められる時が来るのか。いまは想像がつかない。

さて、山本広巳のクリエーションの重要なところにふれる。

山本広巳の急須は、例えるなら”究極に真っ直ぐな線”を描いている。

それはでも、素材にも言える。

グニュグニュと曲がった線は、誰でも簡単に真似することができる。

適当に線をなぞるだけで、雰囲気は似かより、見る者も違いに気づかないでしょう。

でも、究極に真っ直ぐな線は、簡単にはなぞれない。わずかにでもはみ出し、違和感がでる。



山本広巳の急須は、模範しても違和感が残る。ぱっと見似ていても、違和感が隠せない。

その違いが生まれるのが、最高の急須職人である所以。



よくよく誤解されるのですが、私は急須にこだわりがある人ではありません。

仲の良い関係者は知っていますが、ファッションにも興味がなく、着飾ることもありません。

なにものにもとらわれず、無刀。そうありたい。


山本広巳の急須を見て問われます。

「ならば、人生において、究極に真っ直ぐな線はなにか」

物事は突き詰めると共通しています。

つまり、人生において、究極に真っ直ぐな線と呼べるものが存在するということです。

私も死ぬまでに、描いてみたい。




サシェ 上原