月別アーカイブ: 2017年9月

便器の横で寝てみたら。

風邪を拗らせていて辛い。

季節の変わり目は風邪をひきやすい。確かに。
誰が言い始めたのか。アインシュタイン?
誰かはわからんが、私は全面的に支持している。

ただ、私が風邪をひいた理由は他にもある。
洗面台のリフォーム。そう、洗面台を新調した。

洗面台を新調するために、床紙を剥がして、床続きの便器も外したところで問題発生。
床板が思いの外、腐っていた。
工事は中断、そのまま床の張り替え業者を数日待たなければいけない。

それはいい。それはいいんだけど、外した便器が私のベッド横に置かれたままだ。
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「にいちゃん申し訳ないけど一旦外しちゃったからこのままでいい?」
私は便器の横で寝たことがない。どんな気持ちになるか興味があり、「いいですよ」と即答した。

夜がきた。
ここは一番落ち着く場所。しかし、
隣に便器があると思うと呼吸が浅くなる。
換気扇は回している。この判断はおそらく正しい。
部屋の空気は常に換気されている。だから落ち着け。

私は思う。
おしっこを入れたコップを丁寧に洗い、そこにジュースを注いで飲めるのか。
丁寧に洗ったなら問題ないはず。
そのジュースを飲むのに抵抗があるのは、心の問題だ。味は変わらない。
だから私は飲める。西海岸で飲む、いつもの味。それが成功の証。

ならば便器。あなたは陶器と言えるのでは?
つまり花瓶と変わらない。
花瓶の横で寝る、なにも問題はないはずだ。
落ち着け。

しかし暑いな。扇風機が必要だ。
扇風機はある。あるよ。
しかし使うのには勇気がいる。
扇風機とベッドの間に便器があるから。

まさかこんな形で詰むとは。
便器からの風に、私はビビっているのか。
いや、ビビってなどいない。

便器より、口の中のバイ菌の方が多いと言うじゃないか。
言う。確かに言う。
ビビってなどいない。

イメージに負けるな。
息が苦しい。
気のせいだ、落ち着け。



思えばこの日から風邪の前兆が始まった気がする。
季節の変わり目には注意が必要だ。
便器の横で寝るのも、オススメしない。



サシェ 上原

山本広巳

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達人を前にして剣が抜けない。

やわらかくも独特の空気に支配されている。

バガボンドでもそんなシーンがあった気がする。急須職人、山本広巳さんの前でなかなかカメラを抜けない。

脇に置かれた一眼はあまりに大きく、不恰好だからか。

それとも、借りてきたカメラのように、僕には不自然だからか。

美しい人とモノとの空間に、邪魔のように思える。

あぁ、そうか。僕は一眼を嫌いになりつつある。

のめり込むほど、カメラが写す景色は現実離れしていく。

カメラに非はない。ただ人間がより美しく、演出していってしまう。

写真は美しい。

ただ、撮る者は、現実演出した理想の差を常に感じている。

現実を切り取っている。違う、これは現実ではない。自分自身の見たい景色を写している。幻想にすぎない。

写真は自身の深層心理を写している。


カメラを買い換えた理由の一つは、広巳さんを撮るためでもあった。

どのような人物かは、業界のもっとも深い人たち、亡くなった偉人たちが知る。

しかし、不思議なことにこの時代に広巳さんの写真一つもでてこない。

だから私はカメラを持ってる。いつか写真に収められる時が来るのか。いまは想像がつかない。

さて、山本広巳のクリエーションの重要なところにふれる。

山本広巳の急須は、例えるなら”究極に真っ直ぐな線”を描いている。

それはでも、素材にも言える。

グニュグニュと曲がった線は、誰でも簡単に真似することができる。

適当に線をなぞるだけで、雰囲気は似かより、見る者も違いに気づかないでしょう。

でも、究極に真っ直ぐな線は、簡単にはなぞれない。わずかにでもはみ出し、違和感がでる。



山本広巳の急須は、模範しても違和感が残る。ぱっと見似ていても、違和感が隠せない。

その違いが生まれるのが、最高の急須職人である所以。



よくよく誤解されるのですが、私は急須にこだわりがある人ではありません。

仲の良い関係者は知っていますが、ファッションにも興味がなく、着飾ることもありません。

なにものにもとらわれず、無刀。そうありたい。


山本広巳の急須を見て問われます。

「ならば、人生において、究極に真っ直ぐな線はなにか」

物事は突き詰めると共通しています。

つまり、人生において、究極に真っ直ぐな線と呼べるものが存在するということです。

私も死ぬまでに、描いてみたい。




サシェ 上原